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「フルリモート」と「オフィス出社」どちらが仕事の生産性が高いと思いますか?
5月1日「心理学的なパフォーマンス低下を論拠に、新次元の効率論を持ち込んだ」
通勤時間に関しては正直数時間にわたる労働に比べたら時間は短いし、あまり関係がないのではと思っている。極論、その人の働き方の形や性格(どんな環境で落ち着いて・集中して作業できるか)だと思うが、リモートもオフィスに引けを取らないコミュニケーションの質を獲得してきている。 オンライン会議は「会議のための会議」が少なく、短時間で終わる。画面共有、リアクションの仕組み、通信速度など、システムも年々改善してきているし、そういったツールを使う私達のリテラシーのようなものも向上している。 心理学的にも、作業を監視されている状況下だとパフォーマンスが下がることが知られている。
これから求められる人材は専門性特化か 幅広い教養か
5月1日「学際論文の増加という具体的データで市場の変化を示唆」
もちろん、知識の深さと広さ、両方持っておくに越したことはないが、一つの分野に秀でた研究者は日本中にいるということを鑑み、軸を複数持っている人材の需要が高まっているように思う。 現代の学問や社会問題は、一筋縄では解決できない問題が山積みである。例えば人間について一番知られていない器官である、脳。これは医学だけやっていればいいというわけではなく、心理学的な側面が絡んできたり、「意識とは」など哲学的な問題に直面したりする。研究についても、実際「学際」という語を含む論文の数が近年急増しているようだ。 (ソース 異分野融合の意味と意義 宮野公樹 https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia/60/10/60_615/_pdf) 複数の分野にまたがる素養を有していないと、太刀打ちできない問題は今後も増えていくものと思われる。
大学は今後も「行く価値」があるか
5月1日「研究と教育を分離し、コスト-リターンの判断基準を明確化」
大学に行く価値はずばり「研究」だと思う。高校までの普通教育では、既知とされている、疑いのない事実とされている事柄を学んでいくが、大学では研究途中の「現時点での共通認識」を知識として学び、その知の営みに加わり、深め広げることが最終的なゴールである。大学は教育機関であり、かつ研究機関でもある。 知識を身につけ、教養を深め、人生を豊かにすることは確かに大事だが、それだけが目標ならば、YouTubeやオンラインのコースでも、より安価に達成できる。書籍でも好きなことを十分に学習できる。ネットの情報の信憑性の問題が懸念の対象になるかもしれないが、例えば京都大学がYouTubeに出す講義など、信頼できる情報源は探せばたくさんある。 オンラインでも、同じ興味関心や目標を持つ仲間に簡単に出会い、連絡を取り合うことができる。 そうなったとき、高い学費を払ってまで大学に行く必要があるとすれば、主に理系で、整った研究設備、機器などの環境と、直接指導してくれる教員を求めて、ということになるだろう。 したがって、研究を目的としない場合は大学に行かなければならない理由はあまりないが、少なくとも研究というものを体験してみるという意味では、もしくはその道に進む場合は、大学には一定以上の価値があると考える。
住むなら都会か地方か
5月1日「『心身の落ち着き』という生活品質の内面的側面を初めて主張」
都会はインフラが整備されているし、様々なリソースや機会を容易に手にできると思いますが、地方でもそれらは生きるのに十分な水準にあると感じています。私の生まれた場所は、病院が少ないと言われている地域なのですが、そこまでの不便は実際生きる中で感じなかったし、そもそも人口が少ないので病院不足という状況は、知る限りありませんでした。また今の時代、自分の挑戦したいことがあったり、人に何かを学びたいと思ったりした場合、インターネットでそれをかなえるという道もあります。私が地方がいい理由は、自然が豊かで、心身を落ち着けることができる場所だからです。都会の整然としすぎた街並みは、田舎生まれの私には逃げ場がない、居心地の悪い場所と感じられるのです。
子どもに「自分専用のスマホ」、持たせるのは何歳から?
5月1日「脳発達・依存リスクの医学的視点と『現実世界への浸透』という対置軸」
スマホを持たせるのはできるだけ遅い方がいいと考えているので、高校生から。子どもは大人よりも依存しやすく、脳の回路が侵されてからは依存してから回復するのも困難になりやすいから、なるべく慎重になった方がいい。また不審者との出会い、誹謗中傷やネットでの心無い言葉から受ける精神的ダメージも心配だ。 学習に際して調べものがどうしてもあるなら、近年学校で配られている一人一台のiPadなどで十分だろうし、保護者の電子機器を一時的に借りるなどすることもできるだろう。防犯についてはそれを目的に買ったとしても、先述したネット上の悪質な人たちによって、かえって悪影響になるだろうし(今日の青少年に関する事件はネットを介してのものが多い)、連絡のニーズも低年齢ではそこまでないだろう。年齢が低く、感受性が豊かな時は、画面の中ではなく、この現実世界にあふれるモノやコトやヒトにふれていってほしい。
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経済活性化の為に日本はもっと移民を受け入れるべき?
人手不足は今すぐ目の前にある問題だ。介護、建設、農業など、どの分野でも人が足りていない。少子化対策で国内の人口が回復するとしても、それは数十年先の話で、今困っている現場には間に合わない。 移民を増やすと治安が悪化するというイメージがあるが、実際のところ、問題が起きる原因の多くは国籍ではなく、受け入れ後のサポートが整っていないことにある。言語の壁、生活ルールの説明不足などを放置したまま人だけ増やすことが摩擦が生まれる本当の原因だ。 日本にはすでに200万人以上の外国人が働いていて、社会は一応回っている。完全にうまくいっているとは言わないけど、「外国人が増えると社会が壊れる」というほどでもない。 このまま人口が減り続けて経済が縮んでいくより、制度をしっかり整えながら外に開いていくほうが現実的だと思う。
戦争ってなくせると思いますか?
人間は自分たちと異なる集団に対して、一定の警戒心や敵意を持ちやすい。これは文化や教育の問題というより、集団として生き延びてきた人類に染み付いた傾向に近い。国家や民族という単位がある限り、内と外の区別は消えない。その区別が、条件次第で暴力に転化する回路は、どれだけ制度を整えても人間の中に残り続ける。 近代以降、各国は国益という共通の目的に向かって協働して歩むため、国民国家の形成を目標としてきた。自分たちが一体であるという感覚が起こるためには、逆に異質な他者の存在が必要になる。 国連も条約も、自分たちと他者を区別し、他者に敵対する回路を「使いにくくする仕組み」としては機能してきた。戦争の頻度や規模は確かに変化してきた。ただそれは回路を塞いだのではなく、コストを上げただけだ。コストが下がる状況、つまり国家が弱体化したり、経済格差が拡大したり、指導者が内政の失敗を外に向けたいときに、戦争は繰り返し起きてきた。 戦争は人間の悪意からではなく人間本来の性質、もしくは一定数の集団で利益を得るという社会構造から生まれる。その本能的なものは進化レベルの長い時間をかけないと変わらないし、戦争がなくなることはないと思う。